原付北海道1周4,000kmリターンズ

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It's so easy 走り出せよ

1984(昭和59)年7月1日 Part2  東大阪敦賀  走行距離:152.6㎞
 
 
「どうでしょう」ファンの皆さん。
皆さんは、原付といえばカブのことであると思っておられるでしょうが、
私たちの愛車は、カブではないんです。
ミスターの「もう体がもたないんだよ!!」(『原付西日本制覇』より)という悲痛な叫び、
覚えておられる方も多いと思います。アレは長距離走るためのモンじゃないですから。

そして、普段乗り、ということを考えると、カブのメリットって、ほぼ燃費オンリーなんです。
スピードは出ーへんわ(後述しますが、TDのバイクのスピードメーターはとんでもないものでした)、
悪路には弱いわ、普段愛用するにはあまりにもメリットが少ない代物なので。
 
というか、当時、カブで北海道1周は、考えた人少ないと思いますよ。
原付、というカテゴリーで見ても、道外から旅行で来てるらしきのは、2台くらいしか会いませんでしたもの。
 
だから、「な~んだ、カブじゃないのか。」とか思わないでください。
それなりに苦労してますので(笑)。
 
 
ということで。
 
 
一応2人の愛車をご紹介しておきますと、タケの方はYAMAHA MR50というオフロードタイプ、
TDのはSUZUKI RG50γ(ガンマ、と読みます)というオンロードタイプのバイクでした。
(バイク単独で撮った当時の写真が無いので、のちのち掲載する写真から片鱗ををご覧ください。)

それでもね、やっぱりキツいんですよ。長距離走るのは。
陸路北海道を目指す方が美しいかな、とも思ったのですが、
結局本州から北海道に渡るには、空飛ぶとか海に潜るとか以外は、
フェリーに乗らないとどうしても無理なんですよね。
ならばまあ、そこはもういいや、と。
 
当時本州を走る距離が最短であった、
敦賀(日によっては舞鶴出航でした)~小樽間の「新日本海フェリー」にバイクを乗せることにし、
23時の出航時間に間に合うように、14時位に東大阪市のTDの家を出発したのでした。
 
 
で、余裕で敦賀に着き、余裕で晩飯を食って、
何なら風呂でも入るか、くらいの勢いで、それでも時間が有り余って出航を迎える予定だったのですが。
 
 
いきなり旅の根幹を揺るがすようなコトが起こってしまいます。

 
BGM 「風を感じて」 by 浜田省吾
 
 
 T:そもそも何で、原付なんかで北海道1周とか考えたんかなあ。明らかにしんどいよな。
 タ:まず、金無かったやろ? フェリーにしたのもやっぱり安かったというのは大きいよ。
   そういえば,僕らのツーリングのあと何年かしてから、国鉄…JRになってたっけ?が、ブルートレインに、
   バイクが積載できる貨車を連結して、北海道は函館か青森まで乗せていってくれる企画が、
   何年か続いてたような…。確か「日本海」やったと…。
 
T:ああ、あったあった。「モトとれーる」みたいな名前ちゃうかったかな。あれも乗りたかったなぁ。
   函館まで行ってたような記憶あるけど。
   これ読んでくれてる人の中には、鉄道詳しい人も多いから、教えてくれはると思うわ。
 タ:「モトとれーる」、なんか冗談みたいなネーミングやナ。さすが大阪発。
   mototrail→元(費用)とれまっせ(回収)みたいなな(笑)。
   話を戻すと、結局原付にしたのも金の問題やんな。
   90cc、125cc、250ccを買う金なんか無かったもんね。
   免許はとろうと思えばとれたかも知れんけど、取ってもバイクがなけりゃ意味ないもん。
   ま、それほどバイクに思い入れがあった訳でもないし…(笑)。
   だったら自転車、という議論もでそうやけど…。そのあたりの事情は思い出されへんなー。
 T:う~ん、そうやな。でも漠然と北海道はでかい、ということはわかってたから、
   一周するのに自転車はないやろ、とは思ってたはず。
 タ:まぁ、原付ありきということで。   
 T:そやね。けどやっぱりキツかったなー。
 タ:そうやな。原付でしんどかった一つが、荷物を思ったほど積めないことやったね。
   ガンマは、TDのおやじさんが木製の荷台をつくってくれたのではなかったかしらん。
 T:いや、単に板置いただけよ(笑)。
 タ:もちろん、道中、中型バイクはうらやましかったし、今度は中型で上陸しようと語ってたような…。
 T:そうやったかな。これを読んでくれはる人の中にも「今度は大きなバイクで2人で。」
   とか言うてくれはる人もいてるんやけど。
 タ:そしたら、その人にスポンサーに付いてもらおか(笑)。
 T:おー、それはエエなあ。是非お願いします(笑)。