Osaka City West Coast 街ブラ ~その3~
今回もまたまた地図を使って前回のおさらいです。
赤い実線が前回乗船した「天保山渡船」のおおよその航路です。
大阪に詳しくない方、これではやはりわかりにくいですよね。
渡船場から堤防の上にあがったところです。
たまたまウミネコ(カモメ?)が一緒に写りました。
ここから徒歩2分ぐらいで天保山の頂上に着きます。
こちらが4.53m、日本で“2番目に”低い山、天保山の頂上です。
渡船場の待合の屋根より低いですね。
これは何という名前なんでしょうね。
このシリーズのイントロの記事であげた、
「登頂証明書」にも描かれていました。
そしてマニアが喜ぶ…、
二等三角点です!
これが天保山が「山」として地形図に記載されている大きな要因です。
…にしても、端っこ欠けとるがな。
位置関係はこんな感じですね。
で、天保山を含むこの地域一帯は、
「天保山公園」として親しまれているのですが…、
実は変な話ではあるんですが、
山頂からさらに高いところに登れるようになっているんですね。
ここが天保山公園の中で一番標高の高いところ、になります。
向こう側の高速道路の橋も、明らかに近くに見えています。
でもここはあくまで天保山の山頂ではありません。何か不思議。
しかも公園の「頂上」を越えて向こう側に降りると、
このような石碑が。
え?跡? 何のこっちゃ。
石碑には「天保二年(千八三一)安治川をさらった土砂でできた山
目印山ともいい 大阪名所の一つであった」と刻まれています。
そう言えばすごい違和感があったのが、
登頂証明書にもあった浮世絵の天保山。
証明書の右半分を再掲しますと…、
…たかだか4、5mの標高の山が目印? 遊興地?
そんなことに利用できるんか?という違和感と、
それ以上に圧倒的な広重さんの絵に描かれた天保山の存在感。
いや、違和感。
「家の高さと比べたら、天保山の標高、高過ぎるやろ?!」
ということですよ。
浮世絵独特の誇張かな、とも思ったんですが、
そうやとすればあまりにもひどすぎますよね。
…というわけで。
3回で終わらせるつもりやったんですが、
次回、そのあたりも含めた天保山の歴史と、
“日本で二番目に低く”なった背景などを含めて、
まとめの記事としたいと思います。