新年明けましておめでとうございます。
いやもう新しいブログに慣れなくて(笑)、設定にかなり手こずりました。
4日、5日と仕事でしたのもので、今日は少しゆっくり出勤します。
ということでこのタイミングではございますが、新年のご挨拶です。
ま、新しいブログやからと言ってペースはたぶん変わりませんが、
ゆるゆる更新していきますので、よろしければおつきあいのほど。
平成の終わりとともに…
ということを特に意識しているわけではないのですが。
Yahoo!さんがサービス終了と言うことで、
このブログも終わらざるを得ません。
…で、令和のスタートに合わせて、
ということではありませんが(くどいですね)、
どこかで新しいブログをスタートさせようと思っています。
5月から移行ツールが提供されるようなので、
それを利用して記事を移すところからスタートですかね。
皆様にはたまにしか更新せーへんこんなブログに、
ご訪問いただきありがとうございました。
引っ越しが済みましたらまたURL載せさせていただきますので、
よろしければまた遊びに来てやってください。
改めまして。
このたびは
ブログ「原付北海道1周4,000㎞」
をご訪問いただき、ありがとうございます。
最後までよろしくお願いいたします。
内容に直接関係のない、もしくは記事の内容に一切触れていない
コメント、トラックバックは、せっかく来ていただいたのに残念ですが、
引き続き、泣く泣く削除させていただきます。
さすがにスルーできません。
ありきたりな表現ですが、長い間お疲れ様でした。
この方です。
イチロー選手。
記者会見の中継を1時間半、思わず観てしまいました。
そして最後に何と特典映像!
タイミングを逸して見られなかった最後の打席を、
再び流してくれました。
ありがとう、BS日テレ!
いろいろ印象に残る言葉がありましたが、
ここでは一つピックアップします。
結果を残すために自分なりに重ねてきたこと、
他人より頑張ったということはとても言えないですけど、
自分なりに頑張ってきたとははっきりと言えるので。
これを重ねてきて、
重ねることでしか後悔を生まないということは
できないのではないかなと思います。
間違いなく他の人よりも頑張っておられると思うのですが、
謙虚なんやな~。
他にもたくさんの珠玉の言葉がありました。
改めましてイチロー選手、28年間の現役生活、
本当にお疲れ様でした。
そして「イチローの野球」を長い間楽しまさせていただき、
ありがとうございました。
Osaka City West Coast 街ブラ ~その3~
今回もまたまた地図を使って前回のおさらいです。
赤い実線が前回乗船した「天保山渡船」のおおよその航路です。
大阪に詳しくない方、これではやはりわかりにくいですよね。
渡船場から堤防の上にあがったところです。
たまたまウミネコ(カモメ?)が一緒に写りました。
ここから徒歩2分ぐらいで天保山の頂上に着きます。
こちらが4.53m、日本で“2番目に”低い山、天保山の頂上です。
渡船場の待合の屋根より低いですね。
これは何という名前なんでしょうね。
このシリーズのイントロの記事であげた、
「登頂証明書」にも描かれていました。
そしてマニアが喜ぶ…、
二等三角点です!
これが天保山が「山」として地形図に記載されている大きな要因です。
…にしても、端っこ欠けとるがな。
位置関係はこんな感じですね。
で、天保山を含むこの地域一帯は、
「天保山公園」として親しまれているのですが…、
実は変な話ではあるんですが、
山頂からさらに高いところに登れるようになっているんですね。
ここが天保山公園の中で一番標高の高いところ、になります。
向こう側の高速道路の橋も、明らかに近くに見えています。
でもここはあくまで天保山の山頂ではありません。何か不思議。
しかも公園の「頂上」を越えて向こう側に降りると、
このような石碑が。
え?跡? 何のこっちゃ。
石碑には「天保二年(千八三一)安治川をさらった土砂でできた山
目印山ともいい 大阪名所の一つであった」と刻まれています。
そう言えばすごい違和感があったのが、
登頂証明書にもあった浮世絵の天保山。
証明書の右半分を再掲しますと…、
…たかだか4、5mの標高の山が目印? 遊興地?
そんなことに利用できるんか?という違和感と、
それ以上に圧倒的な広重さんの絵に描かれた天保山の存在感。
いや、違和感。
「家の高さと比べたら、天保山の標高、高過ぎるやろ?!」
ということですよ。
浮世絵独特の誇張かな、とも思ったんですが、
そうやとすればあまりにもひどすぎますよね。
…というわけで。
3回で終わらせるつもりやったんですが、
次回、そのあたりも含めた天保山の歴史と、
“日本で二番目に低く”なった背景などを含めて、
まとめの記事としたいと思います。
Osaka City West Coast 街ブラ ~その2~
前回のルートを軽くおさらいしますと、地図のような感じになります。
知っている方でなければ、「…と言われたとて(笑)」
という感じでしょうか。
ともあれ西九条からはJRに乗車します。
これに関しては府外の方でもご存じの方は多いと思いますが、
で、ゆめ咲線と言えば…、
当時「ハリー・ポッター」のラッピング列車も走っていた、
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンへのアクセス路線なんですね。
今や大人の魅力たっぷり、
エマ・ワトソン「さん」の、懐かしの姿です。
こちらに乗車して2駅で「ユニバーサルシティ」なのですが、
今回はそちらはスルー。
もう一駅乗って、終点の桜島まで行きます。
下車する人も少ないのですが、一応駅を出ると歩道に案内板には…、
「USJ、桜島からも行けるよ!」的な案内が。
繰り返しますが、そんな人はまずいません。
そして私の目的地は、逆方向の…
堤防の向こう側には観覧車が頭をのぞかせています。
階段を上って堤防を越えると…、
対岸に見えるのは右に海遊館(水族館)、
その象徴の天保山大観覧車です。
大阪市の渡船がやってきました。
それほど大きな船ではありませんが、自転車やバイクも乗れます。
何しろ対岸に渡るための橋が、大型船も下を通れるように、
非常に高く大きな橋になっているので、
徒歩はもちろん自転車でも利用しにくくなっています。
なので、渡船というレトロな交通手段ではありますが、
市民の足としては欠かせません。
①が「天保山渡船」になります。
写真を写す方向によって、天気が良かったり悪かったり見えてますね。
乗船時間は3分程度なのですが、意外な“クルージング感”が味わえます。
上流から戻ってきた天保山の観光船「サンタマリア号」と遭遇しました。
クリストファー=コロンブスのサンタマリア号をモデルに、
2倍の規模で建造したモノだそうです。
コロンブスってこんなちっちゃい船で大西洋横断したんや!
という感動が、はからずも味わえました。
さて、いよいよ天保山上陸&登頂です!
Osaka City West Coast 街ブラ ~その1~
「West Coast」というと定番はアメリカ西海岸ですが。
実はもう何十年も前に大学の先輩が呼び始めた名前で、
結構気に入っています。
なので今回はこの呼び方を使わせていただきます。
阪神なんば線も開通から10年。
もう完全に定着しましたね。
以前の記事でも紹介しましたが、
九条まで地下を走っていたなんば線は、
この付近から地上に上がり、さらに高架線となって、
西九条を経由、尼崎までつながっています。
さらにしばらく歩いて行くと…、
先ほどのなんば線の鉄橋の隣に建物が見えてきます。
交差点の名前は「源兵衛渡」。
「げんぺいわたし」です。
先ほどの建物の向こうは安治川なので、
なにがしか渡船的なものがあった場所なんでしょうね。
そこに現在は…、
このような建物が。寄ってみると…、
右から書いてありますが、「安治川隧道」の文字が。
隧道=トンネルですよ。
これが地元には欠かせない、安治川河底トンネルの入り口なんですね。
このようにエレベーターになっていて、
河底の更に下まで降りることができるようになっています。
写真の左端に表示してありますが、
朝6時から夜の24時まで稼働しています。
え?!そしたらそれ以外の時間は?!
…となりますよね。
…もちろん対処されています。
エレベーターのすぐ隣には、河底に降りることのできる階段があり、
こちらは24時間通行可能。
でもこう書いてあっても、自転車で降りる人いてるんやろな~。
そして底まで降りるとこんな感じです。
階段は本当にエレベーターのすぐ横ですね。
「水曜どうでしょう」ファンのみなさん!
大阪にもあります、“人道トンネル”です!
関門海峡のトンネルほどは幅もないので、
ここからは皆さん隊列を組んで、係員の方の指示に従いながら、
粛々と渡っていきます。
大阪人もほとんどの人はマナーを守るんですよ。
こちらは現在稼働中のエレベーターの隣にある、ひときわ大きい扉。
大きな道路橋が架かっていなかった頃は、
自動車用のエレベーターも使用されていたそうです。
トンネルを出て堤防に近づいてみました。見えているのは安治川の下流側。
もう古くなってよくわからなくなっていますが、
一番左端に写っている茶色い三角屋根の建物には、
「四国方面フェリー乗り場」的な文字が書かれています。
昔はこのあたりからもう船が出ていたんですね。
そこからはしばらく電車で移動になります。