原付北海道1周4,000kmリターンズ

Yahooブログから引っ越してきました。よろしくお願いします!

タフな笑顔の 仲間となら乗り切れる

1984(昭和59)年7月22日 Part2  舞鶴西港~京都~東大阪 約130km
 
 
前回は下船してからあとの話だったのですが、
今回は少しだけ逆戻りして、舞鶴港到着時前後の話をしたいと思います。
 
 
さて、そろそろ舞鶴港も近づいてきた午後4時ごろ。
若いので腹も減りますし、北海道では粗食の生活を送っていましたので、
船を下りたらどうしても食べたいものがありました。
 
それは…
 
イメージ 1 
  「王将の餃子」!!!  (笑)
 
                    ※ 写真出典「王将HP」より
 
 
いえいえ、額とかの問題やないんです。
私らビンボー学生にとっては贅沢やったんですね。
安くて美味しい餃子を、満腹になるまで食う、というのが。

 
もちろんこういう場合は、家に帰って母の料理を、というチョイスも大アリなんですが、
何しろあと130km走らなダメですから、たぶん家までおなかがもちません。
 
 
で、2人の財布を確認したんです。餃子何皿食えるかな~♪

 
タケの財布は………じゃーん!

 
138円!
 
 
あら(笑)? こりゃ厳しいですね~。

 
それではTDの財布………じゃーん!

 
まさかの21円!!
 
 
合わせて159円!!! 
 
餃子が確か1皿150円やから♪ 2人で1皿♫
一杯のかけそば』みたいや~♪
…ってそんなコトしたら電話もかけられへん(笑)。

 
しゃーない、断念するか。
 
 
いや待て。銀行から引き出したらエエやん。

 
小樽では「船ではどーせ遣わんし。」とかって、油断してて引き出さなかったけど、
こんなに持ってなかったとは(笑)。
 
でもまあ舞鶴も銀行ぐらいあるやろ。(←失礼)
 
ちゅーことで。
舞鶴で降りたらまずは銀行探し!
という話がまとまりました。

 
到着予定時刻は17:00。

 
銀行のATMは、今でこそ24時間開いてるようなところもありますが、
当時は5時のところもあったし、遅くて6時というのが主流だったと思います。

 
1時間あったら余裕やん。

 
で、到着の20分くらい前から、気合十分で車両甲板に下り、
愛車にまたがり、手袋をつけ、ヘルメットをタンクの上に置き、準備万端!となりました。
 
これまで乗ったフェリー4航路では、まずバイクを先に出してくれたんです。
なのでそのつもりでバイクから先に出るものだと思っていたら、
…待てど暮らせどGOサインが出ないんです。
予定通りに到着し、10分経ち、20分が過ぎても。

 
「まー、まだ間に合うか。」

 
30分経ち、40分経っても。

 
「お~い、どうなってんねん!?」
 
 
ついに時計は6時を指し、1時間待たされても船を下りることはできませんでした。
この時一体何でこんなことになったのか、ということは、今となっては知る由もありませんが、
いや、これにはホンマ参りました。
 
 
結局6時20分くらいまで待たされましたかね~。
ようやく下船した時には、舞鶴のATMというATMはすべて閉まっていました。
(全部行ったわけではないんですが(笑)。そんなもん、推して知るべしです。)
 
 
そーなると今度は、餃子はまあエエとして、
2人で160円弱で、何かあったらどうすんねん、
…ということが頭をよぎり、急に怖くなったのを覚えています。
 
もちろん超安全運転で、空腹を抱えながら、何とか無事に家まで帰りましたが。

 
こういうときに限って、目に付くんですよね。
 
 
餃子の王将」の看板(笑)。
 
 
探してる時はなかなか見つからんくせに。
家に着くまでに3回見ました。

 
まあ2人いたということで。
 
「アイツもガマンしてるんだ! 今までもいろんな難関を突破してきたじゃないか!」
 
と、なぜか標準語で(笑)独り言を言いながら、何とか最後の難関を乗り切りましたが。
 
 
後日王将にリベンジを果たしたのは言うまでもありません。
 
 
BGM 「1/6の夢旅人2002」 by 樋口了一