原付北海道1周4,000kmリターンズ

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亜細亜の端っこの国の北の端。

1984(昭和59)年7月6日 Part5 礼文島稚内宗谷岬 約32km

数多くの想い出と、タケの2度の大爆発を残して、
私たちの利尻・礼文紀行は、ピリオドが打たれることになりました。

あれ以来1度も再上陸したことはないのですが、
HTBさんの「ドラバラ鈴井の巣雅楽戦隊ホワイトストーンズ」などに垣間見える礼文島は、
港近くの立派なホテルを始め、やはり多少なりとも変わってきているように見えます。

島の暖かい人たちや島全体の雰囲気は、たぶんそんなに変わってはいないのかな、
と思いつつ、やはり自分のこの目で様子を確かめたいな~。という気持ちが、
こうやってブログを書いていたりすると、日に日に募ってきます。


また行きたい。 …こればっかりですが(笑)。


北海道は日本の北の端であると同時に、東の端でもあるわけで、
明らかに大阪とは、日の出・日の入りの時刻が違います。

水曜どうでしょうの「アメリカ横断」や「ヨーロッパ・リベンジ」などで、
標準時帯が変わるおかげで、1時間、また1時間と時計を進めなくてはいけなくて、
時間を“損”していく様子がはっきりと描かれていますが、
日本の場合、言うても東端から西端まで行くのに、飛行機を使えば数時間。
それなのに国内に標準時をいっぱい作ってしまうと、
標準時帯が変わるたびに時計を修正し直さなくてはいけなくて、非常にメンドくさい。
なので明石を通る135°の時刻に、日本中の時計が合わせてあるわけなんですね。

しかし実際は、経度差1°で約4分の時差があります。
宗谷岬の付近は東経141.5°近く、わが東大阪は約135.5°、
ということで単純計算で約6°の経度差=25分近い時差があるわけなんですね。

つまり大阪感覚でいると、日が暮れる時間が30分近く早い、

ということになります。

この感覚のズレは、特に初期のこの頃においては違和感がありました。
「あ、こんな時間やのにもう日が暮れてきた」と。

確かそんなに遅い時間ではなかったような気がするんですが、
写真にも若干、夕暮れ的な感じが出ています。

イメージ 1稚内から向かうと宗谷岬の手前の清浜というところにあります、「間宮林蔵渡樺の地」の記念碑と説明板です。
間宮林蔵は『間宮海峡』に名を残す、当時を代表する探検家・地理屋さんです。

イメージ 2同じく間宮林蔵氏。
こちらは宗谷岬にある「日本最北端の地」の碑の近くに立っておられます。
スグ真似します。この人(=TD)の悪い癖です。

イメージ 3そしてこれが宗谷岬の「日本最北端の地」碑です。
あれ?向こうにまだ島が…(笑)。


残念ながらこの時は天気が悪く、たかだか40kmぐらい先といわれる樺太は見えませんでした。


BGM「The End of Asia」 by 坂本龍一