原付北海道1周4,000kmリターンズ

Yahooブログから引っ越してきました。よろしくお願いします!

We put hope in flont of fear

1984(昭和59)年7月4日 Part1 札幌~新十津川~留萌~増毛~羽幌~築別 153.6km
 
 
前回の小樽~札幌の記事は若干長かったですかね。
本来やったら2回分の記事でしたね。読んでいただいた方々、ありがとうございました。
 
北海道も2日目、ようやく本格的に走り出した2人の珍道中、お楽しみを!

 
…と言いたいところなんですが、世の中そうそう毎日面白いことが起こるわけではございません。
本当はもっと細い道やなんかを、地図を頼らずに行けば面白かったかもしれないんですが、
何しろ長距離ツーリングに、そんなには慣れていない2人
(TDに至っては初めて(笑))だったので、
何かあったときに、幹線道路沿いのほうが都合がよかろう、ということで、
ごく普通に国道275号線を北上いたしまして、何事もなく最初の休憩地、新十津川町に着いたわけです。

 
実はこの新十津川、近畿出身の私たち2人にとっては、すこ~し縁のある町なんです。
 
 
私たちの出身地、大阪府の隣の奈良県に、十津川村、というよく似た名前の村があります。
 
イメージ 1十津川村奈良県南部、県の1/6の面積を占める
日本で一番広い“村”です。
(ついつい1/6と言えば違うモノを思い浮かべてしまいますが(笑)。)
 
TDも昔、大阪から紀伊半島を車で縦断しようと思って、山の中の国道(←どうでしょう・四国班がいつも、
大騒ぎしているような道です)を延々2時間以上走って、
やっと十津川村の端
(北海道ならカントリーサインが立っているようなところです)に着いたとき、
標識に「十津川(←村役場の位置です)77km」とあるのを見て、泣きそうになったことを思い出します。
 
村の端から役場まで77kmですよ! 
そんな村抜けよと思ったら、100km以上走らんとアカンやないですか。 
 
ま、北海道の方なら「当たり前じゃないか。」とか思われるかもしれませんが。
本州の小さな自治体に住んでる人間としては、とんでもない大きさです。

時は1889(明治22)年、そんな十津川村を、村史上最大級の大災害が襲います。
豪雨にともなう地すべり・土砂崩れなどで、十津川集落がほぼ壊滅したのです。
そんな中生き残り、わずかな希望を持って北海道に移住したこの村の人びとが、
現在の新十津川町付近に入植し、村を開拓し住み着いたということなのです。
そんなわけで新十津川の町章と十津川の村章は、同じものが使われていますし、
それぞれのHPには、お互いリンクを貼りあっています。
 
何か今回は新十津川の紹介だけになりましたが、十津川村にも面白い所やエピソードがあります。
その一部は「原付北海道:スピンオフ」で紹介させていただいてます。
よろしければ、そちらもご覧ください。
近鉄八木からの「日本一長い路線バス」で行ってみるのも面白いかも。
ただし4時間以上かかりますが。
 
 
今回はあまり長いのも何ですので、軽く新十津川村の紹介でした

 
BGM:「Frontiers」 by JOURNEY
 
 
T:お久しぶり。…って、もう何回も同じようなこと言うてますが。
  ようやくお互いちょっと時間が取れたな~。
タ:なんと一年と半年ぶりやん! すんまへんいろいろありまして。
T:ほんまやね。お互い忙しかったし、こっちはこっちでガタガタあったしね
  で、今回は新十津川の話のイントロなんやけど
  「原付北海道:スピンオフ」で奈良の十津川村の話をしてるんよ。
  まあ、去年の台風でエライ被害あったからなぁ。その流れでなんやけど。
タ:十津川の犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。
T:ホンマ、改めてお祈りします。  東北も大変やけど、こっちも早いこと復興してほしいねぇ。
  で、記事の方やけど、今回は軽く済ましときましょか。久々の再開やしね。
タ:せやねぼくは20代も終わり頃に、「谷瀬の釣り橋」の近くで、
  職場の面々とバーべキューをしたことがあるわ。
  目的地に着くまで、対向の乗り合いバスに何度も肝を冷やしたなー。
  確かに、四国の山中と似てますな。
T:確かに僕らが走るのには厳しいよね。
  でも四国でも紀伊半島でも、現地の人は全然平気で走ってはったけどね。
  「谷瀬の釣り橋」なんか、バイクで渡らはりますからねぇ。
タ:シルク・ド・ソレイユからスカウトされるかも。