ロズベルグと言えば…。
2012 F1 World Championship
第3戦 中国GP
バーレーンGP、ムリやろうと思って油断してたら…、やるんですね~。さすがバーニー・エクレストン(笑)。
そんなわけで(ネットの速報は見ず)BSを見ながらも、急いで第3戦・中国グランプリ(上海)にちなんだお話を。
いや~、小林可夢偉さん、残念でした。
予選3位スタートは大きな期待を抱かせましたが、なかなかうまくいかないものですね。
本人談によると、「予選とレース、どっちも速く走れることがわかったので、それを揃えれば。」だそうです。
1989年の中島悟さん以来のファステスト・ラップも記録したことですし、速いことには何の疑いもありません。
今後に期待しましょう!
で、今GPの主役はニコ・ロズベルグ。
たぶん本人は見てないでしょうが(笑)、
初優勝おめでとうございます。
マシンが決まった、またはダブルDRSの効果か、
初のポールポジションから、
見事に初優勝も果たしました。
前評判の悪くなかったメルセデスのマシンで、
1・2戦は期待ほどの結果が出ず、
また、ワールドチャンピオン7回を誇る“皇帝”、
ミハエル・シューマッハをチームメイトに、
プレッシャーのかかる戦いを強いられていたであろう、
ニコ。
しかし、初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾り、
この上ないスタートを切った今シーズン。
ぜひ後々のワールドチャンピオンを目指して、
勝利を重ねて行ってほしいものです。
その前段階として、今回のこの勝利でロズベルグは、
3組目の「親子2代の勝利ドライバー」になりました。
そして私の最も好きな
“伝説のドライバー”ジル・ヴィルヌーヴと、
ジャック・ヴィルヌーヴの親子、
そしてニコ・ロズベルグと、「史上最も少ない勝利数でワールドチャンピオンになったタイ記録」の持ち主、
ケケ・ロズベルグの親子なのです。
で、私のブログではムリやり、
引退したドライバーの話の方に持ってく(笑)ワケですが。
今回はもちろん、1982年のワールドチャンピオン、
ケケ・ロズベルグを取り上げます。
ケケは、F1で初めて「フライング・フィン」
(ムリやり訳せば「カッ飛びフィンランド人」かな?)
と呼ばれた、豪快無双のドライバーでした。
しかし時にムチャに思えるその走りが、
全く活きないような弱小チームを渡り歩いたため、
1981年までは鳴かず飛ばずの状態でした。
ところが翌1982年、チャンスは突然訪れます。
1980・81年と好成績を挙げていた、
ウィリアムズ・チームのNo.1ドライバーで、
80年のチャンピオンのアラン・ジョーンズが、
チームでの扱いに不満を感じ、81年限りで引退したため、
強豪ウィリアムズのNo.2ドライバーに大抜擢。
しかもその年にNo.1ドライバーとなったばかりの、
アルゼンチン人ドライバー、カルロス・ロイテマンが、
フォークランド紛争(イギリスとアルゼンチンの領土紛争)に抗議する意味で、わずか2戦目にして、
イギリスのチームであるウィリアムズから急遽引退。
ウィリアムズ・ホンダ時代のケケ あれよあれよという間に、No.1ドライバーの座が
転がり込んできたのです。
こうして、ようやく戦闘力のあるマシンと、思いもよらなかったチームのNo.1待遇を得たケケは、
水を得た魚のようにサーキットを駆け回りました。
そして第14戦スイスGPで待望のGP初優勝。
しかし実はこの年、ケケはこの1勝しか挙げられなかったのです。
普通では考えられないことですが、1982年は初優勝5人を含み、
優勝者が述べ11人も出た大混戦のシーズンで、
何とケケは、16戦中わずかこの1勝で、ワールド・チャンピオンのタイトルを手にします。
もちろん他のレースで着実にポイントを稼いでいたことが、タイトルを得ることができた要因ではありますが。
ちなみに年間1勝でチャンピオンになったのは、
11戦(うち1戦は「インディ500」で、“F1ドライバー”は基本参加しなかったので、実質10戦)で1勝だった、
1958年のマイク・ホーソーン以来でした。
1982年チャンピオン・カーのウィリアムズFW08
その後もケケは、1985年までウィリアムズに乗り、合計5勝を挙げました。
1984年にホンダ・エンジンに久々の勝利をもたらしたことでも知られています。
1986年には前年のチャンピオンで、その年2連覇を果たすことになる、
飛ぶ鳥を落とす勢いのプロストに対し、光る走りをしばしば見せたものの、
その年は未勝利のまま、シーズン終了後にF1のキャリアを終えることになります。
ニコがワールドチャンピオンになるのはもう少し先のような気もしますが、今から楽しみです。
2組目の「親子2代ワールド・チャンピオン」が誕生することになります。
ケケも楽しみに待っているに違いないでしょう。