原付北海道1周4,000kmリターンズ

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鉄道にまつわる思い出を教えて

ちょっと遅きに失したかな。
もうYahoo!ブログの「クローズアップ」のテーマとしては、取り上げられていないようですが。
どうしてもこの話は書いておきたいので。
 
1995年1月17日。
忘れもしません、阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震の起こった日。
この年の3月、どうしても行かなくてはならない用事があった私は、
ようやく神戸を迂回して動き始めたJRに乗って、福岡に向かいました。
 
乗った列車は、新大阪-西鹿児島間(現在の鹿児島中央)の寝台特急「なは」(たぶん81号)。
本来は電気機関車が牽引して走る列車でしたが、地震の影響で運休。
東海道本線大阪-尼崎間の復旧にともなって、
新大阪-(東海道本線)-尼崎-(福知山線)-福知山-(山陰本線)-和田山-(播但線)-
というルートで、ディーゼル機関車が牽引して走ることになったのでした。
 
飛行機で行くことも可能ではありましたが、純粋に鉄的興味があったことも事実です。
まだ若かったということで許してください。少し浮いた気分もあったと思います。
 
しかし。
 
今となっては「なは」にしてよかったと思っています。
 
それは昨今の寝台列車ではほとんどありえない、ほぼ満員の寝台で、
誰からともなく神戸近辺の状況について、心配するような会話が始まったとき。
一人のおじさん(当時の20代の私にとって、です。今の私くらいの年齢の方だったかな。)が、
 
「俺はね、若い頃に神戸で働いてたんだ。
で、こんなことになって居ても立ってもいられなくなって、
自分が住んでた街を見に行ったんだ。
そしたらもう2か月もたつのに街はメチャクチャでさぁ…。
たくさんの人が死んだんだよ。
残念で、悔しくて…。」
 
泣きながら、詰まりながら話されました。
そして「ちょっと、ゴメンね。」と言って、タバコを取り出し火をつけられました。
心を落ち着けるように、涙を流しながら一服。
 
もちろん寝台車両は禁煙です。
あとで本人も「あぁ、禁煙だったね。ゴメンね。」とおっしゃっていましたが、
こちらも「かまいませんよ。」というのがやっとでした。
 
しばらくしてみんな寝よう、ということになって、自分の寝台に戻ったのですが、
その話の生々しさと、タバコの匂いが残って、なかなか寝付けませんでした。
 
 
そして福岡からの帰り。
私も山陽本線でストップしているところまで乗り、
代行バスに乗り換え、また東海道本線に乗り、
大阪に戻ってきました。
 
悲惨な光景でした。
日が暮れると所々が、家も何もなくなって真っ暗でした。
私も涙が止まりませんでした。
 
 
2008年3月14日。熊本までの短縮運転に変更になっていた「なは」は、廃止になりました。
最後にもう一度乗っておきたかったなぁ。
 
今でもタバコの匂いをかぐと、あの「なは」の夜を思い出します。