ベルギーGPは17番グリッドから!
最初は19番スタート、という結果になった可夢偉選手ですが、
4人ものスタート順降格処分によって、スタート順が繰り上がり、17番グリッドからのスタートに。
何しろベルギーGPの名物は、サーキット名のスパ=フランコルシャンから取られた「スパ・ウェザー」。
コロコロと変わる天気、しかも長いコースゆえに、途中の一部だけ雨、なんてことがザラに起こります。
可夢偉選手が足元をすくわれたのもこの雨。
一瞬の晴れ間にドライタイヤでの勝負をかけたところに、無情の雨が降り注ぎ、あえなくコースアウト。
結果予選19位に沈んだのでした。
他のレースでももちろん天候の予測は重要なのですが、
特にこのスパでは、勝負を左右するような大きな要素になることもしばしばです。
さて、決勝では天気の神様は誰に微笑むんでしょうか。
で、またまた少し古いドライバーのお話です。
ベルギーGPが、スパではなくゾルダーというサーキットで行われていた1982年。
予選中に1人の天才ドライバーがなくなっています。
その名はジル・ヴィルヌーヴ。
1987年以降の新しいファンの方には、97年チャンピオンのジャック・ヴィルヌーヴのお父さん、
と言ったほうがわかりやすいかもしれません。
出走67回、優勝6回、ポールポジションにいたってはわずかに2回。
このドライバーのどこが天才なのか。
天才の定義なんて腐るほどありますから、どれが正しいというものでもありません。
彼は紛れもない天才であることがわかります。
とにかくレースで最高の結果を残すために、最大限の努力を惜しまない。
やれることは何でもやる。
しかし「教授」と呼ばれたあのヒトや、「皇帝」と呼ばれるあのヒトのように、汚い手は一切使わない(笑)。
(コアなファンの人、すみません。私もキライなわけではないんですよ~。)
79年、ルノー・ターボがJ・P・ジャブイーユのドライブで初優勝を飾ったレースで、
(本当にヘタするとどっちかが死にかねないような、壮絶なバトル(プチぶつけ合いを含む)でした。)
まさに2位を“死守”、ルノーの初ワン・ツーフィニッシュを阻止したのでした。
※ このことを知っているオールドファンは、87年にフジテレビでF1中継が始まった時に、
実況担当のF舘さんが、アルヌーを「妖怪通せんぼジジイ」と呼ぶのを聞いて、
「あー、この人はアルヌーがどれだけ凄いドライバーだったか知らないんや。
昔からスタイルが変わっていないだけやのに。」と悲しんだものです。
また同じ年のオランダGPでは、レース中に片方のリヤタイヤがバースト、
そのまま最大限のスピードで約半周を走り抜け、
ピットに飛び込み、マシンの修復を待ったが、
ムチャな三輪走行のおかげで、足回りがガタガタになってしまい、
リタイアを余儀なくされる、ということもありました。
長くなりますが(笑)。
でも、早く走る、ということにかけても、相当な才能の持ち主でありました。
絶好調のフェラーリは、エース・ドライバーのジョディ・シェクターが他の車を圧倒し、
10秒も早く走って見せたのですが、
何とヴィルヌーヴはそれよりもさらに10秒以上早く周回して見せたのです。
確かこの時は、そのあとドライコンディションになり、幻の予選1位となりましたが。
ヴィルヌーヴはランキング2位となりました。
これも当時は厳然とあった「チームオーダー」に、正直に従ったためであると考えられています。
要は、エース・ドライバーを立てた、と。
だから彼が亡くなったベルギーの前戦での、チームメイト、ディディエ・ピローニの、
エースドライバーを蔑ろにしているとも取れる行為が許せず、
血眼になって、予選アタックをしてしまったのでしょうか。
しかし前の遅い車をよけようとして、コースを変えた方に前の車もよけてきたとは。何と運の悪い。
ここの詳しい話をしているともっと長くなりますので、すみませんが興味のある方はこちらをご覧ください。
その時は、故ミケーレ・アルボレートのドライブするフェラーリが、優勝しています。