原付北海道1周4,000kmリターンズ

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泣きたいような夜は “希望”ってロウソク胸にともした

1984(昭和59)年7月20日 Part6  瀬棚~島牧~弁慶岬~寿都雷電岬~岩内~神恵内~古平~美国~
                      積丹岬神威岬~野塚  約217km

さて、2人がヨタヨタと海岸の岩場を歩いて
 ―今は遊歩道ができてるらしいですね―
到着したのが「念仏トンネル」。
 
 神威岬近くのワクシリ岬にある全長60メートルのトンネル。1918年(大正7年)11月8日開通。現在は立入禁止となっているが、以前は神威岬に行くにはこのトンネルを通る必要があった。
 1912年(大正元年)、灯台守の家族がワクシリ岬付近で荒波にさらわれ死亡するという事故が起きたのを契機に、1914年(大正3年)に着工した。両側から手掘りで掘り進むうちに食い違いが生じ、工事が中断したが、村人たちが念仏を唱えて鐘を打ち鳴らしたところ、その音で掘り進む方向が分かり工事が再開できたと言われている。このため、途中で2度折れ曲がっており、内部は真っ暗である。念仏を唱えながら通ると安全であると言い伝えられている。
                                                                                                 出典:ウィキペディア
 
え!? 今は立ち入り禁止なんですか?
上記の遊歩道にも驚きましたけど、私らは通りましたからね、トンネル。
 
夕方(ほぼ夕闇)やったこともあって、そらもう10mも進んだら何にも見えません。
自分の顔の前に持ってきているはずの手すら、見えなかったですから。
「真っ暗闇」が心底怖いものだ、というのを初めて思い知りました。
 
今となっては、懐中電灯を持っていたのかどうかすら覚えていませんが、
途中が直角に2回曲がっていて、2回目の角を曲がった時に、
向こうの方がかすかに明るいのが見えて、ホーッと長いため息をついた記憶はあります。
 
 
で、その念仏トンネルのあたりから撮ったのがこの写真。
イメージ 1あたりはほぼ暗かったんですが、最大限に絞りを開けて撮影しました。
タケのカメラの優秀さの賜物です。
 
左の上が神威岬。あの断崖を下って来たんやなぁ。
ま、道はありましたが、今思うとなかなかの冒険ですね。
 
神威岩、通称ロウソク岩。地図によると高さ40mあります。見事な造形です。
写真に辛うじて写ったのは、それがロウソクやったからかも知れません。
亡くなった灯台守のご家族も、「あれが本当に照らしてくれたら…。」と思ったかも。
海の荒れた日にあんなトコ歩くのは大変ですよ。
 
 
この後また神威岬に向けて海岸の岩場を歩き…あれ?
もうかなり暗かったはずやのになぁ。そんなコトしたんやったっけ。
それはあまりにも危ないような気がするし。
かといって国道の方に出て、回り込んだ記憶もないし。
う~ん(笑)。
イメージ 2
 
念仏トンネルのあたり、遊歩道が地図にも描かれています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
とにかくバイクの置いてあった駐車場(地図中○印)まで戻って、
野塚のキャンプ場へ。
 
 
キャンプ場の入り口あたりで、久々に家に電話をしました。
 
①母:「今はどのあたりや?」
②TD:「え~っとね、積丹。」
 
すると電話の置いてあった雑貨屋のおじさんが突然、
③野塚!
④T:「あ、ちょっと待ってな。」何ですかおじさん?
⑤お:野塚だよここは。
⑥T:「あ、いや積丹のへん。」
⑦お:野塚!
⑧T:(いや、大阪の人間に「野塚」言うてもワカランやん。第一、他人の電話になんで…(笑)。)
⑨母:「何て?」
⑩T:「あ、いやいや、積丹の…」
(以下、③~⑦までもう一度くり返し。)
 
ようやく母にも居場所が伝わり、その雑貨屋さんで夕食を買い込んで、
キャンプ場へ落ち着いたのでした。

 
★ 野塚野営場 泊 ★