原付北海道1周4,000kmリターンズ

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いったい義経は、どこまで逃げおおせたんでしょ。

1984(昭和59)年7月20日 Part3  瀬棚~島牧~弁慶岬~寿都雷電岬~岩内~神恵内~古平~美国
                                            ~積丹岬神威岬~野塚  約217km
 
 
今回実はこんな近くまで行っていて、羊蹄山も見ていないんですよね。
今思えばもったいない話です。
 
が、途中雨にたたられたりして日程がギリギリになっていたので、
仕方ないっちゃ、仕方ないんですけどね。

 
そんなわけで寿都の街もスカッと通り過ぎて、次のポイント雷電岬へ。
 
ここも結局岬のそばまでは行っていないんですが、岬の部分が見える展望スペースで、
写真のみ撮ってきました。
イメージ 1右端のギザギザの部分が「弁慶の刀掛岩」。
 
このサイズの岩に自分の刀を引っ掛けたとあっては、武蔵坊弁慶、もう怪獣です(笑)。
逃げてるハズやのに、目立ってしゃーないです。
 
が、そういう伝説って、「うそ~!」とか思いながら、何かロマンがありますよね。

 
というわけで、今回は岩内観光協会HPより、一連の義経・弁慶伝説の簡単な解説を。

津軽三厩(みんまや)から船で渡った義経主従イメージ 2
 ⇒松前木古内・上磯・函館・七飯・大野・乙部浦・寿都雷電・岩内
雷電の峻嶮(しゅんけん)でアイヌ酋長(しゅうちょう)チパの襲撃を受ける 
その宴席で突然祭壇のイナウが倒れた。
神の怒りを感じたアイヌたちは義経主従を介抱する
やがて酋長の娘は義経を慕うようになる 
弁慶はよく海岸に下りて釣りをしていた。
 ⇒その時弁慶が刀を掛けた岩が刀掛岩
義経主従は大志を遂げるため旅立を決意
娘メヌカは別れを惜しむ中、義経は「来年また必ず来る」と約束       
 ⇒雷電は来年からつけられたといわれている。
ここから弁慶は寿都へ、義経は岩内へ
1年経っても義経は戻らずメヌカは投身自殺を遂げる
 ⇒その岩がメヌカ岩
以来、神威岬の神威岩より北には決して和人の女性は行かすことがない
 ⇒和人の女性の乗っている船はよく難破したという
 
  ※ イナウ=アイヌの祭具。右の写真参照(出典「Wikipedia」)。
 
 
どーも刀掛岩が(笑)。
 
巨大化した弁慶なら、釣りとかまどろっこしいコト言わずとも、
一人で地引き網引けるでしょ(笑)。

 
さておき。
 

実際に神威岬にはメヌカ(メノコ)岩というのがあります。
 
アイヌの娘さんとの悲恋物語か。
 
…何かもしそうなら美しいな~、という気持ちに、
本当にあったコトかもな~、みたいな気持ちになってしまったりします。

 
BGM 「Rydeen(雷電)」 by YMO