いったい義経は、どこまで逃げおおせたんでしょ。
今回実はこんな近くまで行っていて、羊蹄山も見ていないんですよね。
今思えばもったいない話です。
が、途中雨にたたられたりして日程がギリギリになっていたので、
仕方ないっちゃ、仕方ないんですけどね。
仕方ないっちゃ、仕方ないんですけどね。
ここも結局岬のそばまでは行っていないんですが、岬の部分が見える展望スペースで、
写真のみ撮ってきました。
写真のみ撮ってきました。
右端のギザギザの部分が「弁慶の刀掛岩」。
このサイズの岩に自分の刀を引っ掛けたとあっては、武蔵坊弁慶、もう怪獣です(笑)。
逃げてるハズやのに、目立ってしゃーないです。
逃げてるハズやのに、目立ってしゃーないです。
が、そういう伝説って、「うそ~!」とか思いながら、何かロマンがありますよね。
津軽の三厩(みんまや)から船で渡った義経主従
⇒松前・木古内・上磯・函館・七飯・大野・乙部浦・寿都・雷電・岩内
雷電の峻嶮(しゅんけん)でアイヌ酋長(しゅうちょう)チパの襲撃を受ける
その宴席で突然祭壇のイナウが倒れた。
神の怒りを感じたアイヌたちは義経主従を介抱する
やがて酋長の娘は義経を慕うようになる
弁慶はよく海岸に下りて釣りをしていた。
⇒その時弁慶が刀を掛けた岩が刀掛岩
義経主従は大志を遂げるため旅立を決意
娘メヌカは別れを惜しむ中、義経は「来年また必ず来る」と約束
⇒雷電は来年からつけられたといわれている。
ここから弁慶は寿都へ、義経は岩内へ
1年経っても義経は戻らずメヌカは投身自殺を遂げる
⇒その岩がメヌカ岩
以来、神威岬の神威岩より北には決して和人の女性は行かすことがない
⇒和人の女性の乗っている船はよく難破したという
どーも刀掛岩が(笑)。
巨大化した弁慶なら、釣りとかまどろっこしいコト言わずとも、
一人で地引き網引けるでしょ(笑)。
一人で地引き網引けるでしょ(笑)。
さておき。
実際に神威岬にはメヌカ(メノコ)岩というのがあります。
…何かもしそうなら美しいな~、という気持ちに、
本当にあったコトかもな~、みたいな気持ちになってしまったりします。